明治末期に難工事の末に雄川沿いの道が開通するまで、
秋畑の人が富岡方面に出るには
榎峠
を越えて裏根集落に出て、
さらに大日峠を越えて国峰に出ました。
甘楽野今昔物語(かんらの むかしがたり) 深澤 武 昭和60年 あさお社 ISBNなし p195
甘楽町の峠路 より抜粋
秋畑と、特に裏根の人々に深くかかわっていたこの峠には、大日如来が祀られています。 それゆえの、大日峠という呼び名。 雄川沿いの道が開通して県道昇格して榎峠が使われなくなってしまっても、 おそらく大日峠は裏根の人々によってしばらくは利用されたのでしょう。 今では交通ルートとしての利用は完全になくなってしまった大日峠ですが、 甘楽町一万分の一地図には大日峠が記載されており、 そして峠の大日堂はいまでも土地の人によって維持されています。 |
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大日峠のお堂を見に、家族でミニハイキングにいくことにしました。
ターボ・ファルコン号
を裏根手づくり農産物加工所の駐車場に止めさせてもらいます。 ゼンリン住宅地図には大日峠の記載はありませんが、細道ははっきりと描かれており、 峠には小さいながらはっきりと「大日堂」と記載されています。 場所は間違いないし、さすがゼンリン住宅地図、どこからアプローチすればよいか一目瞭然です。 この地図のコピーとクマよけカウベルをポゴに渡し、 「今がここ、今日の目的地はこのお堂。自分で地図を読んで、先頭を歩いてごらん。」 まあ実際には迷うようなところもないコースですし、 距離もわずか。 上り坂でヒイヒイいう運動不足のパパ・ママを置いてポゴはさっさと進んでいきます。 「みてみて、なにかいろいろあるよ。」 この峠の途中には、石造物が多数ありました。 南無阿弥陀仏の石碑やお墓、我々には読めない崩し字の、大正年間の文字碑。 ここは本当に歴史のある道のようです。 美しい竹林の中を抜ける道は竹の葉で覆われています。 いのぶ~ でなら登れると思いますが、 この道をホイールスピンで荒らすのはためらわれます。 もうすぐ峠というところで、おっ、お堂だ!! 大日堂は想像していたよりずっと新しいつくりで、 豪華絢爛とはとても言えませんが、しっかりとしたつくりの屋根をもつ立派なもの。 明治期の建物には見えませんでした。 おそらく戦後、昭和中期以降に建て替えられたものでしょう。 大日峠は峠としての機能をまったく失った後も、地元の人によって大切に守られてきた特別な場所なのでした。 写真には示していませんが、お堂の中にはちいさな如来さまの像。 いまでもお祭りの日があるのでしょうか。 「大日さまというのはたくさんいる仏さまの中で最高の仏さまでね、」とママが解説。 ちょうど日本神話に興味を持ち始めたポゴはふんふんと聞いています。 峠の周囲にはこれまた、立派な庚申塔や馬頭観音、墓碑や石祠などの石造物が多数。 種類でも数でも、甘楽町のほかのどの峠をも凌駕しています。 それらには寛政や文政といった年号が読めます。 19世紀初頭、1800年代のものです。 この峠が古くから、 秋畑の最重要な交通路の最重要なウェイポイントかつ地域インターフェイスだととらえられていたということです。 峠の杉の木には「塞神三柱守護」と書かれた小さな新しいお札と御幣。 しかしその先は、道を完全にふさぐ倒木。 道はすっかりヤブに覆われて、もう誰も全く通らなくなっています。 その昔は子どもも大人もみな毎日ここを通っていたでしょうに、 いまでは交通は完全に途絶。 峠として完全に機能を失い、しかし地元の人に大切にされている峠。 如来さまに守られた大日峠は、甘楽町の歴史の語り部として、甘楽町の峠たちのなかでも最高位の存在であるように思えてきました。 2014-05-25 大日峠 [初] |
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